今年も夏休みを利用して、四国の看板調査をしました。
大分県臼杵港からフェリーで四国に渡りましたので、愛媛県八幡浜市を起点に右回りに香川県、徳島県では
吉野川沿いを通り高知県、そして愛媛県宇和島市までの、ほぼ一周をするかたちで調査をしました。
せっかくの四国調査ですので、撮影しました多くの画像を紹介しています。どうぞ、ご覧ください。

八幡浜に上陸後、最初に確認した看板群です。
私の住む福岡県大牟田市からは
臼杵から八幡浜へのフェリーが四国への
最短距離になり、運賃の割引を利用すれば
かなり安い費用で四国へ行くことができます。
航送の距離では、佐賀関〜三崎が最短になりますが
こちらは、便数が少なく、深夜の便がありません。
朝の五時半ころで
ぼんやりとした失敗画像となりました。
撮影地:愛媛県八幡浜市千丈
八幡浜にもカクイわたさんが
看板貼りに来ていました。
画像後方の大洲方面へ少し登ったところにも
ねんねこ看板がありましたが
その後、四国では1枚も確認できませんでした。
しかし、四国にもカクイさんが
看板貼りに来られていた貴重な証拠ともいえます。
これも同時刻のため、ピントが合わず
失敗画像となりました。
撮影地:愛媛県八幡浜市千丈
大洲盆地を流れる肱川は、厳冬期の早朝に
河口の長浜町にかけて起きる
肱川あらしで有名です。
この原因となる大洲の朝霧も
大洲の冬の風物となっているようです。
伊予の小京都といわれる大洲の
商店街で見つけました。
撮影地:愛媛県大洲市大洲
北条市の桜うずまき酒造さんの
桜うずまき看板です。
この看板を切り出しにして
四国には、お酒の看板が、なんと多いこと。
しかも、酒屋などで見かける細長縦型看板よりも
このような大型看板が四国の
酒看板の特徴といえます。
撮影地:愛媛県内子町城廻
愛媛県の道路を走りますと
いたるところで一六たるとと
ハタダ栗たるとのお菓子屋さんを見かけます。
お土産に買って帰ろうかなと思いましたが
生菓子ならば、もたないと思いまして諦めました。
たるとは、あんこを
うずまきのようにくるんであるそうです。
宇和島の鯛めしも食べてみたかったな。
撮影地:愛媛県内子町城廻
栄富久の酒造元が不明です。
日新焼酎は徳島の日新酒類さんの銘柄です。
この看板屋敷は愛媛県を代表するほど
多くの看板が貼ってありますが
植木が遮っており、全体が見づらく残念です。
やはり、ここでも酒看板が登場していますね。
撮影地:愛媛県北条市柳原
北条市の名前の由来は
条里制からであるそうです。
執権の北条氏とは関係ないそうです。
条里制とは古代律令国家が出現し
班田収授法にもとづき
区画整理を行ったものです。
飛鳥時代からはじまり
奈良時代などの遺構が各地に残っています。
それだけ、北条市の土地が古代から
耕作に適していたといえます。
撮影地:愛媛県北条市柳原
松山市を通過する時間帯が
ちょうど通勤時間でしたので
道路は渋滞していました。
それでも看板捜しが目的ですので
可能性のある道として伊予鉄道郡中線沿線の
県道を選択しました。
さっそく、有名な「伊予の早曲がり」に遭遇し
なるほど、しっかりと前を見ておかなければと
痛感した次第です。
撮影地:愛媛県北条市粟井
松山市内で見つけた小型看板です。
松山市街地から東部の郊外へ出るコースとして
伊予鉄道横河原線沿線の県道を選択しました。
途中からは、線路から離れて重信町へ入りました。
おそらく、この県道が国道11号線の
旧道ではないかと思います。
しかし、川内町に入るまで、これといった看板が
確認できませんでした。
小型看板の下に貼ってある看板の方が
実は歴史が古いとは思います。
撮影地:愛媛県松山市北梅本町
松山平野の中央を流れる重信川を
渡りますと川内町に入ります。
松山平野の東端に位置し
松山市内の通勤圏内だからでしょうか
町の人口が微増傾向にあります。
西隣りの重信町との合併が検討されています。
また、川内町の姉妹町として
島根県木次町と提携しています。
木次町は昨年看板捜しをしました。(収穫なし)
撮影地:愛媛県川内町茶堂
肥料の看板は、必ずといっていいほど
肥料の販売店に貼ってあります。
この建物も、閉じてはいますが肥料店のようです。
多木肥料の看板は種類が多いのが特徴です。
小型看板に対して、これは中型看板です。
同じデザインでも大きさが違うのがあるのですね。
撮影地:愛媛県川内町茶堂
大鏡は西条市の大鏡酒造部さんの銘柄です。
宇和島市付近では清酒名門の袖看板を
多く見かけましたが
金属看板は確認できませんでした。
酒の話は、ともかくとして、愛媛県のふるさとの味に
「いもたき」があるそうです。
「いもたき」とは、里芋に鶏肉やこんにゃくなどを
入れた煮物で、鶏のだしをベースにした醤油味です。
あっさりとした感じなのでしょう。
愛媛県各地で、「いもたき」が名物になっており
それぞれの地域で微妙に風味が異なるようです。
一度、食べてみたいものです。
撮影地:愛媛県川内町川之内
四国へ来たならば、やはり、さぬきうどんは
食べておきたいところです。
まず、店に入ると、ざるに盛った、うどん玉の数を
指定しなければなりません。
店により、ざるに盛るうどんの量が異なりますが
3玉にすれば、普通の一人前の量となるのが
2軒寄ってみたところの平均でした。
めんは太くて固いのが、さぬきうどんの特徴です。
だしは、九州と同じで薄味ですので
違和感なく、おいしく食べられます。
撮影地:愛媛県川内町天神
重信川の分水嶺を超え、中山川流域に入ると
国道沿いの峠道に桜並木が続く桜三里です。
三里と名付けられているだけに
麓から峠まで、ほぼ全域にわたり、桜並木が
続いています。
桜が満開の時期に、この桜三里をドライブしたならば
さぞかし花見が十分に満喫することができるでしょう。
桜三里の麓付近で見つけた看板です。
撮影地:愛媛県丹原町鞍瀬
西条市の南に聳える石鎚山は
西日本最高峰です。
この石鎚山は山体を神体とする石鎚信仰の
霊峰でもあります。
麓(画像近く)には、石鎚神社本社があり
そこは、四国八十八ヶ所前神寺でもありましたが
明治の廃仏稀釈により廃寺とされ、現在の前神寺は
別の場所に移されています。
この石鎚山は神仏混淆の修験道の山として
親しまれています。
撮影地:愛媛県西条市西泉
川鶴は観音寺市の川鶴酒造さんの銘柄です。
この日、宿泊した国民宿舎つたじま荘(仁尾町)では
川鶴を販売していましたので、飲んだ酒も
川鶴であったと思います。うまい酒でした。
川鶴看板は、観音寺市を中心に愛媛県東部から
香川県にわたって確認しました。
この画像からも、四国の海岸部は平地が狭く
山が迫っているのがわかるでしょう。
撮影地:愛媛県土居町泉
土居町の赤石山系は、海岸から近距離に連なる
急峻な山系です。
とくに赤星山は海岸線から6kmの近距離に位置し
四国の中でも山が海に、もっとも迫って見える地域と
いえるでしょう。
四国の山は急峻で、複雑な谷を形成しており
とくに吉野川流域では、県境と河川流域の分水嶺が
一致していないところが多く、さらに地形の複雑さを
混乱させられてしまいます。
画像では旧道と現在の国道が交差しています。
このように旧道を中心に調査を進めていきました。
撮影地:愛媛県土居町木ノ川
世界長さんは運動靴(フットウエア事業)を中心に
展開され、大阪証券所上場企業でしたが
現在、会社更生法適用を申請し
再建に取り組まれておられます。
同業の福岡県久留米市のアサヒ靴も
会社更生法適用により再建中です。
撮影地:愛媛県伊予三島市寒川町
江戸錦は、伊予三島市の
ブライダル江戸錦酒造部さんの銘柄です。
地元の伊予三島市で見つけた
よく見ると祝いの杯の形をした珍しい看板です。
愛媛県は四国では高知県に次ぐ面積がありますが
人口は150万人で最も多くなっています。
これは、江戸時代の石高から続いている情勢です。
急峻な山岳地帯が少ないことが
生活環境に影響しているのでしょう。
撮影地:愛媛県伊予三島市中之庄町
四国では、このような旧街道が今でも
地域の生活道として残っています。
この旧街道を四国八十八ヶ所巡りの
お遍路さんが、歩いていかれているのを
たびたび見かけました。
暑い最中を、おつかれさまです。
また、街道のところどころには
道標が立てられていました。
目的は異なりますが、私もお遍路さんと同じ
コースを走るケースが多くありました。
撮影地:愛媛県伊予三島市中之庄町
梅錦は川之江市の梅錦山川さんの銘柄です。
梅錦さんは地ビールも製造されています。
川之江市は紙のまちと言われています。
製紙、紙細工、不織布などのほか
伝統的な和紙の製造や水引細工も行われています。
紙の百貨店と言われるほど
多種多様の紙の産地です。
撮影地:愛媛県川之江市農人町
JR川之江駅前はアーケード商店街と
なっていますが、自動車通行可能です。
岡山県新見市でも、アーケード商店街の中を
自動車で通行できました。
小さなアーケードならともかく
ある程度続いているアーケードの中を
一般車両が走るのは、少々違和感を感じます。
このように、一般国道を走るだけとは異なり
各地の市街地、中心地の様子を見ていくのも
看板捜しの楽しみのひとつです。
撮影地:愛媛県川之江市農人町
豊浜町関谷地区は寝具製造業者が集積しています。
布団わたとしては現在では、羊毛や羽毛が主流に
なっており、綿わたの使用が少なくなっています。
この豊浜町関谷地区は綿の栽培が鎌倉時代から
始まり、昭和初期まで盛んに行われていたそうです。
紡績落綿を使用するのは、とくに大阪の阪南地区で
盛んでしたが、この関谷地区は綿の栽培を
起源として寝具製造業者が集積するのは
全国でも、有数の珍しい産業形成地域といえます。
関西地区への出荷が多いと思われます。
撮影地:香川県豊浜町関谷
うば車の看板があったとは驚きです。
タダでもっていきますとは
購入使用後、無償で引き取ってくれるということ
なのでしょうか?
詫間町は浦島太郎伝説が残っています。
玉手箱を開けた際に出た、白煙が立ち上り
夕日に映えて紫の雲となり、山にかかったので
その山を紫雲出山と呼ぶようになったなど
地名に伝説のいわれが残っているのも
興味深く感じます。
撮影地:香川県詫間町的場
金陵は琴平町の西野金陵さんの銘柄です。
香川県では、この金陵の壁貼り看板をはじめ
ビルの屋上の看板や野立て看板など
金陵の名を知らぬ人はいないと思えるほど
広告、宣伝をされています。
西野金陵さんは、酒類食品総合卸売業を行われて
いますので、売上高規模でも、おそらく香川県を
代表する地場の中堅企業であると思います。
また、琴平町では、お酒のテーマパーク「金陵の郷」の
観光事業も行われています。
撮影地:香川県三野町津島宮
津島神社は、瀬戸内海の小島、津島にあります。
子供の守り神として有名な神社であるそうです。
津島へは、橋が架けられており
歩いて渡ることができます。
この車両は予讃線を走る特急「いしづち」に
使用されている車両で振り子式が採用されています。
JR津島宮駅付近で撮影しました。
撮影地:香川県三野町津島宮
悦の司は、さぬき市(旧津田町)の
木村中田酒造さんの銘柄です。
悦の司の名の由来は、大正天皇のご即位の大典を
祝福されたことによるそうです。
旧津田町には、津田の松原があります。
松原の中を県道が貫いており
さながら松のトンネルといったところです。
佐賀県唐津市の虹の松原にも似た風景ですが
津田の松原の松は、幹が比較的細く均一で
整然とした感があります。
撮影地:香川県大内町丹生
旧大内町は合併により東かがわ市に変わりました。
白鳥町、引田町との3町合併により市制化されましたが
人口は4万人未満で、合併特例によるものです。
旧引田町の引田の町並が、地図に載っていましたので
少し調査しましたが、予想とおり狭い路地の町並で
軽自動車でも離合が大変でした。
撮影地:香川県大内町丹生
東かがわ市の旧白鳥町の名の由来は
日本武尊の白鳥伝説によるものです。
日本武尊の白鳥伝説は、全国各地にあり
それぞれの地に白鳥神社が建てられており
日本武尊が祀られています。
旧白鳥町にも白鳥神社があります。
正面右側にはカンコー学生服の袖看板も見えます。
撮影地:香川県大内町三本松
タカラビール看板は、宝酒造さんが
ビール事業に参入されていたときの名残です。
徳島県では、このタカラビール看板を多く
見かけました。
宝酒造さんは、焼酎を主力商品とされています。
カンチューハイは有名ですね。
また、持株会社を設立され、直接金融の促進と
事業の多角化に取り組まれています。
撮影地:徳島県小松島市土手町
阿南市の海岸はリアス式の入り組んだ
地形を形成しています。
この入り江に戦国時代から幕末まで
阿波水軍森家の拠点があり
阿波の国主、徳島藩蜂須賀家を支え
藩の海上方として活躍していたそうです。
この看板を切り出しに、この日宿泊した
日和佐町の国民宿舎うみがめ荘にかけて
看板が点在していました。
撮影地:徳島県阿南市福井
四国の看板捜しで是非とも見つけたいと思っていた
ニコホン綿看板を、ようやく発見できました。
しかし、後にも先にも、ここだけしか
確認できませんでした。
徳島県吉野川流域の旧道では、おそらくかなりの
収穫の期待ができるであろうと、にらんでいました。
そこで、翌日の行程を考えた場合
あまり徳島市を南下するのは時間的に
厳しくなりますので、日和佐町くらいまでが
南下の限界かと想定しました。
この発見は幸運な行程選択でした。
撮影地:徳島県阿南市福井
JR四国牟岐線は、徳島から徳島県南部の
海部間の鉄道です。
沿線のほとんどが、海岸に沿っており
車窓からの景色に変化があり、鉄道の旅が
楽しめることと思います。
海部からは、さらに高知県東洋町甲浦まで
阿佐海岸鉄道の阿佐東線が走っています。
この鉄道会社は、第三セクター方式ですが
出資比率から実質的に、徳島県、高知県と
沿線地方公共団体による
公営鉄道といえます。
撮影地:徳島県阿南市福井
牟岐線海部駅付近には
全国に一ヶ所しかないといわれる
山のないトンネル(トンネル構造物のみ)が
あるそうです。
このような情報をはじめ、四国の日本一、世界一を
集めた「おもしろ四国」を、四国電力(よんでん)の
ホームページで紹介してあります。
是非ともご覧ください。
http://www.yonden.co.jp/shikoku/charm/index.htm
撮影地:徳島県阿南市福井
せっかく四国にまで看板捜しに来ましたので
金鳥看板4連発を撮影しました。
皆さんも、ご存知のように、金鳥看板のある集落には
金鳥看板が必ずといっていいほど、集中しています。
これは、想像するに、看板貼りの任務(ミッション)を
達成するために、一気に、その集落に貼っていった
のではないかということです。
それにしても、金鳥看板は全国的に圧倒しています。
その宣伝効果は、絶大であると思います。
撮影地:徳島県阿南市小野
このように徳島県では
タカラビール看板を、よく見かけます。
南海フェリー小松島〜和歌山の文字が見えますが
小松島からのフェリーは、廃止されています。
現在のフェリー航路は
徳島からの発着となっています。
明石大橋の開通にともない
関西からの徳島県へのアクセス手段が
変わってきています。
撮影地:徳島県阿南市小野
由岐町には田井ノ浜の美しい砂浜があります。
その田井ノ浜から日和佐町への県道は、とても狭く
それにもかかわらず、大型トラックが走ってきて
離合が大変でした。
私は自動車の運転が得意ですので
そのような場合は、こちらからバックして
離合可能なところへ誘導します。
四国の旧道は、おそらく狭いことを覚悟して
軽自動車で来ましたので、問題はありませんでした。
皆さんも、四国に看板捜しに行かれるならば
軽自動車で廻られることを、お勧めします。
撮影地:徳島県由岐町木岐
金長饅頭の看板です。
金長まんじゅうは、徳島県松茂町の
ハレルヤ製菓さんの主力商品です。
たぬきの絵柄が描かれています。
これは、阿波狸合戦の映画に由来があるそうです。
徳島県の道路を走っていますと
この金長饅頭のお店を、よく見かけます。
徳島を代表する銘菓なのでしょう。
詳しくは、こちらをご覧ください。
http://www.gofield.co.jp/okashi/hallelujah/company/
撮影地:徳島県日和佐町恵比須浜
日和佐町大浜海岸は
うみがめの産卵する砂浜として、町ぐるみで
うみがめ上陸を保護されています。
大浜海岸に面する国民宿舎うみがめ荘では
入浴時間が午後9時までとして
うみがめの上陸に影響がないように
配慮されています。
鹿児島県屋久島の上屋久町永田では
海水浴に開放されている浜とは離れた南側の砂浜で
うみがめが上陸した足跡をいくつも見ました。
やはり、そっとしておきたいですね。
撮影地:徳島県日和佐町北河内
このように、阿南市南部の福井から
看板が、たびたび確認できますと
さらに南部の牟岐町、海南町、海部町、宍喰町
高知県東洋町までの調査が気になるところです。
私の今までの経験上、漁村では、ほとんど
看板を見かけることがありません。
いろんな理由が考えられますが
弊社看板貼りOBによりますと、漁村では
潮風があたるため、錆びがしやすく
看板貼りには適さないといこうことです。
しかし、上記の地域では、看板がありそうな
気配を感じます。
撮影地:徳島県日和佐町北河内
四国八十八ヶ所巡りの中で徳島県国府町には
第14番常楽寺、第15番国分寺
第16番観音寺、第17番井戸寺の四寺が
集中しています。
この旧道では、お遍路さんと何人も遭遇しました。
ちなみに、この神社は第16番観音寺近くです。
小さく写っているのは、後藤散看板です。
実は、四国の看板捜しには、お遍路さんマップが
最適かもしれません。
そんな地図は、そもそもあるのでしょうか。
徳島県(阿波)は八十八ヶ所巡りの出発点であり
別名、発心の道場であるそうです。
徳島県撮影地:徳島市国府町
ツバメ印の東洋高圧看板です。
門柱に隠れてしまいました。
東洋高圧の文字を見ると
合併後の三井東圧化学を連想します。
福岡県大牟田市の主力工場として
様々な肥料を生産していたのでしょう。
現在は三井化学です。
住友化学との合併は破談となり
今後の動向が注目されるところです。
背景の山は吉野川南部の山々です。
撮影地:徳島県鴨島町麻植塚
万年軍手の看板は
広島県東城町でも確認しました。
徳島県を東西に流れる吉野川は
石鎚山系の瓶ヶ森を源流にし高知県北部から
四国のほぼ中央付近の山岳地帯を水源とし
水量の豊富な河川です。
池田町より下流は、川幅が広くなり
流れもゆるやかで、雄大な風景を見せてくれます。
吉野川の北部を撫養街道が通り
南部を伊予街道が通っています。
撮影地:徳島県鴨島町若宮
吉野川は鴨島町付近まで下流になりますと
川には中島が出現するところもあり
さらに川幅が広くなります。
江戸時代から築かれている第十堰の下流に
可動堰建設計画が策定されています。
長良川や紀ノ川に続く建設計画ですが
今後の動向が注目されるところです。
諫早湾干拓事業や川辺川ダム建設事業のように
せっかく築いてきた地場の自然を生かした産業が
壊滅されないことを祈るばかりです。
防災を建設の目的とするのは、国土交通省の行う
公共事業の常套手段であります。
撮影地:徳島県鴨島町若宮
吉野川可動堰建設について
住民投票が行われています。
反対票が過半数を占めており
これでは、国土交通省も無理やりには
建設に着工はできない状態のようです。
公共工事を中止するための、正当な方法は
唯一、地元住民の過半数による建設反対です。
そのため、国土交通省をはじめ建設推進側は
反対運動が拡大しないように、切り崩し工作を
たびたび行うことが、あるようです。
撮影地:徳島県鴨島町若宮
千葉県小見川町のアタリヤ農園さんの看板です。
種苗業の看板は、農薬看板の多さに比べれば
なぜか少ないですよね。
この小さな看板は、看板貼りが遠路はるばる
貼りに来られたのではないのは確かでしょう。
瑣末な考察でした。
撮影地:徳島県鴨島町若宮
川島町にあるJR徳島線学駅の入場券は
5枚1組で「ご入学」という語呂合わせで
合格祈願に大変人気があるそうです。
また、にんにくの産地としても有数の産地で
にんにくを使用した焼肉のたれも
川島町の特産品であるそうです。
貞光町の道の駅でも焼肉のたれが売ってありました。
お土産に徳島ラーメンを買いましたが
味噌味でおいしかったですよ。
撮影地:徳島県川島町学島
ヒガシマル醤油は有名な龍野の淡口醤油です。
吉野川をはさんで、山川町の北側にある
阿波町には「阿波の土柱」があります。
これは、世界三大土柱のひとつに
数えられているもので
ロッキー山脈とイタリアのチロルに並ぶそうです。
阿波の土柱はロッキーやチロルの土柱のように
はっきりとした土の柱ではなく
むしろ土の壁のように見えるそうです。
面白いことに、侵食により消滅していくだけでなく
新しい土柱が東へと伸びているそうです。
撮影地:徳島県山川町山瀬
吉野川南側の穴吹町から橋を渡って
脇町を調査しました。
地図に卯建(うだつ)の町並みが載っていましたので
寄ってみようかと思いましたが
どうも、看板の年代より時代背景が古そうでしたので
卯建(うだつ)の町並みはパスしました。
卯建(うだつ)とは、隣家との間に屋根の下に出る形で
白壁の防火壁を造ったもので
上部には瓦を載せ豪華さを競ったそうです。
建築費用がかかるため
造ることができないことから転じて
「うだつが上がらない」の語源になったそうです。
この醤油屋さんも風情のある家ですね。
撮影地:徳島県山川町山瀬
撮影していたら健康そうな、おばあちゃんが
自転車で近づいてきました。
看板も脱落してはいますが
ツノダの自転車のようです。
よんでんホームページで紹介してある
おもしろ四国の中で、もっとも驚いたのは
高知県吉川村にある世界一のモンキーバーです。
400本のバーが連続しているそうです。
あなたなら、何本まで進めますか?
いや、私は自転車の運動で十分です。
撮影地:徳島県山川町山瀬
JR徳島線の線路が見えています。
このようなロケーションでは
ついつい列車が通らないかと待ってしまいます。
JR四国では、土讃線だけでなく
予讃線、徳島線、高徳線でも
アンパンマン列車が走っているようです。
アンパンマンのふるさと高知県の土讃線で
紺地のアンパンマン列車を見ました。
撮影地:徳島県貞光町江の脇
貞光町にも、うだつの町並みがあるそうです。
脇町と異なり、うだつが二層構造になっているそうで
さらに豪華になっています。
酒の銘柄のように、貞光町は剣山の登山口です。
これより南へ登った一宇村にはスキー場もあります。
剣山は観光地化された感がしますので
少し残念ではありますが
それでも植物の宝庫で、魅力のある山です。
それにしても、四国の酒看板は大型が多いです。
なお、剣山スキー場ではありませんが
井川町の井川スキー場の道案内が何とも親切です。
よろしかったら、ご覧ください。井川スキー場
撮影地:徳島県貞光町江の脇
新社会党のポスターにより
隠れてしまっていますが
れとろ看板写真館さんで紹介してある
クミアイわたのようです。
貴重な看板を見つけたのに残念です。
新社会党は、護憲平和の党でわかるように
旧社会党の左派の流れを汲む政党のようです。
弊社ダルマックスのある熊本県荒尾市では
市議に議席があります。
撮影地:徳島県半田町中藪
旧道と鉄道が交差する踏み切り付近は
看板が貼ってあることが、よくあるポイントです。
半田町の名産に半田そうめんがあります。
さぬきうどんの影響もあって
太く腰のある、そうめんであるそうです。
貞光町の道の駅では
半田そうめんが販売されています。
その中に、そうめんをマカロニのように
小さく丸めたものが珍しく感じましたので
お土産に買いました。
小さく軽自動車が写っていますが
このダイハツオプティで四国を走りました。
撮影地:徳島県半田町中藪
テンシン醤油は池田町の天真醤油さんの商品です。
地元ならではの軒先看板でしょう。
半田町まで来ますと、さすがに平野部が狭くなり
旧道は多少アップダウンが出てきます。
吉野川の池田町から東へ流れる下流域は
中央構造線に沿っています。
川がちょうど中央構造線そのものの
位置であるそうです。
したがって、吉野川の南側はプレートの
沈み込むところになるわけです。
撮影地:徳島県半田町小野
阿波踊は池田町の真野武酒造さんの銘柄です。
かえすがえすも四国には酒の看板が溢れています。
三加茂町は「ゆめりあ34」として、緯度と経度の
下二桁が揃うことをテーマにされています。
また、高知市弥生町では、東経133度33分33秒
北緯33度33分33秒と3が並ぶところとして
地球33番地の名前が付けられています。
撮影地:徳島県三加茂町稲持
芳水は井川町の芳水酒造さんの銘柄です。
酒造元の案内も見えています。
この画像の手前には美濃田大橋があります。
歴史を感じさせるアーチ式の橋です。
大橋と名付けられてはいるものの
異論があるようで、こちらをご覧ください。
美濃田大橋
撮影地:徳島県井川町辻
JR佃駅は徳島線と土讃線の分岐駅です。
この線路は分岐した徳島線になります。
佃駅の次は阿波池田駅です。
実際の乗り継ぎは、阿波池田駅で行います。
予定行程時間に対して、すでに1時間程度
オーバーして池田町に入りましたが
池田町から高知県南国市までは山岳地域で
あまり看板はないであろうと予想していましたので
そこは時間調整(つまり国道を単純に走る)によって
予定通りにいけると、高を括りました。
撮影地:徳島県井川町佃
三芳菊は池田町の三芳菊酒造さんの銘柄です。
この看板は三芳菊さんの社屋に貼ってあります。
撮影者の影が写ってしまいました。
ここの字名はサラダでした。
何とも洒落た地名なのでしょうか。
この社屋全体像をご覧になられたい方は
こちらをご覧下さい。三芳菊酒造
撮影地:徳島県池田町サラダ
山城町は渓谷美で有名な大歩危、小歩危と
かづら橋の架かる祖谷渓谷の観光地があります。
国道沿いにある大歩危、小歩危の美しい渓谷を
見ようと道路を歩いている観光客を見ました。
山城町には妖怪伝説が残っているそうです。
柳田国男がこの地に伝わる「こなき爺」を
紹介したそうです。
また平家落人にまつわる伝説も残っているようです。
撮影地:徳島県山城町川口
四国を代表する看板屋敷です。
珍しい小型看板がマニア垂涎ではないでしょうか。
私はサービス精神旺盛ですので
地名を詳しく表記していますが
この看板群は、少しレベルが高そうですので
あえて、地名の表記をしないことにします。
撮影地:四国のどこか
看板の内容で、すぐに分ることですが
薬品の看板が多数を占めています。
お店は日用雑貨店のようですが
薬品も扱われているのでしょう。
淋薬とは漢方薬の種類のようですが
全く無知ですのでノーコメントにさせてください。
撮影地:四国のどこか
この「みやこ染」置き看板は
なかなか珍しいのでは、ないでしょうか。
琺瑯看板が使用されています。
土台が店の前のスロープになっている
セメントに埋め込まれているのが分りますよね。
これでは、まず盗難に遭わないでしょうか。
撮影地:四国のどこか
希少価値からすると
これも高いのではないのでしょうか。
小型看板ならではのグッドデザインです。
さて、土佐藩は関ヶ原で功績をあげた
掛川の山内一豊が入封したものの
関ヶ原で無念の敗退をした
長曽我部の残党を完全に掃討することはできず
その残党の末裔が倒幕の志士となっていくのは
歴史の興味をそそるところでもあります。
土佐藩に仕えた武士には、長曽我部の流れを
汲む者が多数存在していたことになるのです。
撮影地:四国のどこか
なんとも手の込んだ看板でしょうか。
歴史の妙として、やはり反骨精神が宿る地域とは
権力に不公平を感じていたところであると思います。
これは、組織論として、組織が活性化しているのか
否かを判断する基準として
命令に従順であるかどうかのベクトルがあります。
次に共通の目的を持っているのか否かがあります。
つまり、この二つのベクトルによる四事象により
組織の状況が、おおまかに判断できると
考えられています。
この理論は、ちょっとした職場や近所の
人間関係にも当てはめることができます。
撮影地:四国のどこか
こしけ婦人病とは何なのか?
いや、興味がある方は調べてください。
しかし、こしけ婦人病に効く薬の看板の
見事なことが、ここでは大切な話題なのです。
それにしても竜宮の女神のような観音様と
鳥居の一部、不明の飛行物体が描かれており
何とも、その効果の飛躍的な改善がイメージされ
ますます、マニア垂涎の看板ではないでしょうか。
撮影地:四国のどこか
こしけ婦人病看板の解説にスペースを
裂かれてしまいましたが
ダンロップ枕も、とても貴重な看板です。
ダンロップは、ご存知のようにゴム製品です。
今、流行のテンピュール枕もウレタンの
ゴム製枕の一種です。
本場のダンロップ枕(ピロー)はゴム枕ですが
看板のダンロップ枕は水枕で
風邪の時に使う、氷枕なのです。
したがって、ダンロップ枕には
本来のゴム枕と日本で普及した水枕の
二種類があることになります。
撮影地:四国のどこか
いやはや参りました。
デザインが、とてもリアルですね。
ここは、婦人病関連の薬を
専門にされているようです。
ハート浣腸は大阪府豊中市の
ハート十字製薬さん製品です。
看板は古そうですが
楽天にも出品されておられます。
十字は強烈版でLタイプは強力版のようです。
撮影地:四国のどこか
ここにもコシケ婦人病の看板があります。
恵乃玉が、何とも薬の魅力を強調させています。
ワカガミは文字とおり白髪染めです。
ワカガミを検索したら
高山植物のイワカガミが検出されました。
学生時代、北アルプス白馬岳や八ヶ岳で
イワカガミを見たのを思い出させてくれました。
当時はデジカメなんてありませんでした。
花の撮影は接写ですので難しいですよ。
今はデジカメでしか撮影していませんが
デジカメはオートなので花を撮影する場合は
焦点を合わせるのに裏技が必要になったりします。
撮影地:四国のどこか
大豊町は吉野川の上流にあります。
本流の上流には早明浦ダムがあり
高知市などの水甕になっています。
この穴内からは支流の穴内川に分かれ
根曳峠が土佐湾側との分水嶺になります。
吉野川は大歩危、小歩危付近では
深い渓谷を形成しており
典型的な先行性河川の特徴をあらわしています。
いかに、上流から流れる水量が豊富であったかを
示していることになります。
撮影地:高知県大豊町穴内
根曳峠を越え南国市に入りますと
広々とした平野部が眼前に広がります。
南国市には土佐国庁跡があります。
平安時代に土佐に国司として赴任した
紀貫之が帰京する際に記した「土佐日記」から
紀貫之はオカマであったと、高校の国語の先生が
力説していたのを思い出しました。
妙なことは覚えているものです。
撮影地:高知県南国市岡豊町八幡
土佐電鉄は伊野〜後免間の東西と
高知駅〜桟橋間の南北に路面電車が走っています。
この日は路面電車沿いに後免へ
さらに野市町まで調査をしましたが
収穫がありませんでした。
停車駅が道路に線で囲んだだけで
示しているところがありましたので
電車が止まる瞬間に自動車が過ぎる場合は
少しばかり危険な状態でもあります。
この日はビジネスホテルときわに泊まりました。
その晩、花火大会が行われていたようですが
その時間はもう寝ていました。
撮影地:高知県南国市岡豊町八幡
この日は朝から、雨が降りつづけ
満足な撮影が出来ないので、少し残念でした。
計画時点から、この日のルートでは
大きな収穫は期待できないと予想していましたが
高知市内でさっそく見つることができました。
これは、傘を差しながら撮影したものです。
前には単線区間の伊野への土佐電鉄線路が
走っています。遮断機がありませんので
注意して渡らなければなりません。
撮影地:高知市朝倉
花の友は伊野町の高知酒造さんの銘柄です。
さて、宣伝・広告の予算決定方法には
どのようなものがあるのか一般論を紹介しますと
@支出可能額で決める方法
A売上高に比例して決める方法
B競合他社に対抗する効果を考慮して決める方法
C広告の効果など目標達成に必要な予算を
 算出して決める方法(タスク法・目標課業設定法)
の四つの方法がありますが
@とAの方法では、効果や目標と無関係になり
また、BとCでは、算定が困難になる点での
長所と短所の特徴が混在しています。
撮影地:高知県佐川町加茂
富士ヨット学生服に似た
アサヒヨット学生服の看板です。
さて、宣伝・広告の効果を測定する評価方法として
@知名度〜知っているか否か
A理解度〜好意を持っているか否か
B確信度〜納得しているか否か(リピート率)
があります。これは消費者に対する宣伝・広告の
コミュニケーション効果を測定することで判断する
コミュニケーション・スペクトラムの考え方です。
消費者心理の諸段階を測定するもので
動機づけ理論のAIDAモデルにも共通する理論です。
撮影地:高知県佐川町下川
土讃線の普通列車です。
土讃線は窪川までで、窪川からは予土線となり
宇和島へ通じています。
また、窪川からは、土佐くろしお鉄道が
宿毛まで走っています。
佐川町は、化石の町としてアピールされています。
ドイツの地質学者ナウマンが世界に紹介したことに
由来があるそうで、幅ひろい地質年代の化石が
採集できるところであるそうです。
佐川地質館の資料館があります。
撮影地:高知県佐川町下川
この方は、徒歩で旅をされています。
お遍路さんも雨の降る中を歩かれていました。
藤娘は中村市の藤娘酒造さんの銘柄です。
中村市は清流、四万十川の河口付近にあります。
四万十川河口の下田と初崎間には
渡しが残されており、遍路道としても
利用されているそうです。
また、河川の環境保護のために
洪水時には沈む沈下橋が架けられています。
撮影地:高知県宿毛市平田
東洋城は宿毛市の東洋城酒造さんの銘柄です。
ここには、1枚脱落してはいますが
14枚の東洋城看板が貼られています。
宿毛市の穴場の名所?かもしれません。
宿毛の名の由来は、遠浅の海に生える
枯れた葦を「すくも」と言うことからであるそうです。
宿毛市は高知県西端に位置し
西隣りは愛媛県一本松町となります。
撮影地:高知県宿毛市中央
宣伝・広告の心理的効果の中で
その人の好みに深く左右される
選択的接触の効果があります。
自分の持っている意見や関心と同じであり
愉快に感じる場合は好意をもつようになり
それとは反対に不愉快を感じる場合には
認知的不協和が心理的にはたらきます。
宣伝・広告において、この認知的不協和を
避けようと媒体の計画が行われます。
しかし、記憶に残るような宣伝・広告を
企画するためには、両刃の剣、紙一重の違いが
必要になる場合も当然出てきます。
撮影地:高知県宿毛市中央
桜(サクラ)サンエー学生服看板です。
宣伝・広告の表現手段の類型には
@デモンストレーション広告〜使用方法や特徴の
 具体的説明
A比較広告〜競合製品に対する優位性の説明
B推奨広告〜有名人や利用者による推奨
Cイメージ広告〜製品の抽象的なイメージを表現
などがあります。
看板にも以上の広告手段が盛り込まれていますが
むしろ商号や商標そのものが多いですね。
撮影地:愛媛県一本松町一本松
一本松の旧道の様子です。
清酒名門の袖看板が見えています。
プロモーションとは自社製品・商品の消費者への
情報提供や訴求活動のことです。
プロモーションの要素には、宣伝広告、パブリシティ
人的販売、補完的な販売促進があります。
このうち、宣伝広告とパブリシティを
PR(パブリック・リレーションズ)といい
マス市場に対するプル戦略の関係を指します。
パブリシティとはマスメディアなどによる無償の
情報提供をいいます。
看板はPRの代表的な広告手段であります。
撮影地:愛媛県一本松町一本松
宣伝・広告についての
かたい話が続きましたので気分転換に
「自転車の歴史」に山口自転車の
スポーツタイプが紹介されています。
自転車の歴史をご覧ください。
撮影地:愛媛県一本松町一本松
文字が欠落していますが
胃腸薬の看板のようです。
城辺町は西隣りの御荘町と集落がつながっています。
城辺町は愛媛県有数の漁業の町です。
カツオは高知県が有名な水揚げ地ですが
この城辺町でもカツオが水揚げされます。
城辺町の西、宇和海に突き出た半島は西海町です。
暖流の海で珊瑚が繁殖しており
海中公園が町の観光資源になっています。
詳しくはこちらをご覧ください。南宇和郡ページ
撮影地:愛媛県城辺町城辺
この看板は、れとろ看板写真館さんでも
紹介されています。
その後、文字が欠落しているようです。
御荘町には高性能戦闘機「紫電」改が
国内唯一保存されています。
また南予地方は闘牛の盛んな地域です。
ちなみに私は闘牛は見たことはありません。
熊本県阿蘇では牛が放牧されていて
山歩きをしていると近づいてきます。
放牧地を歩く際は牛に気をつけなければなりません。
撮影地:愛媛県御荘町平城
御荘町の町並みです。
画像正面の交差点を右折すると
御荘ロープウエイ方面であると思います。
御荘町では、うどんを食べましたが
お店に入ると自分で小分けされた玉を
湯がかなければなりませんでした。
宇和島市でも同じ店を見ましたので
この辺のチェーン店であるようです。
スープを注ぐ前にネギをかけるのは好みでないので
店の方に先にスープを注いでもらい
こだわって、後載せにしました。
撮影地:愛媛県御荘町平城
サンウエーブ学生服の小さな看板です。
宇和島藩は伊達正宗の長子、秀宗に与えられ
幕末まで伊達家が治めました。
宇和島城は別名「鶴島城」と呼ばれています。
八代宗城は幕末の四賢侯会議のメンバーでした。
四賢侯とは、薩摩藩島津斉彬(出席は久光)
土佐藩山内容堂、越前藩松平春嶽
そして宇和島藩伊達宗城の四人です。
撮影地:愛媛県御荘町菊川
私の経験上、漁村で看板を
あまり見かけません。
そうはいいましても、宇和島方向へ
進まなければなりませんので
可能なかぎり、調査を進めていきました。
内海村はリアス式海岸の湾に沿うように
集落が点在しています。
京都府伊根町の舟屋と同じように
内海村でも舟屋がありました。
こちらは、鉄筋の近代的な舟屋が主流でした。
湾奥は波が、とても静かでした。
真珠の養殖が盛んです。
撮影地:愛媛県内海村柏
宇和海に突き出た由良半島は
佐田岬半島ほどではありませんが細長い半島で
リアス式海岸の特徴をあらわしています。
遍路道は、そういった海岸部から離れた
山中を通っていました。
一番の難所であったかもしれません。
愛媛県南予地方は、砂浜の海岸が見当たりません。
須ノ川海岸は、丸い大きな石が特徴であるそうです。
太平洋に面した砂浜は高知県まで行かないと
ないのでしょうか。
撮影地:愛媛県内海村柏
かなり薄暗くなってきたところです。
八幡浜から22時のフェリーを予約しましたので
時間にまだ余裕はあります。
予約すれば四割引になりますので絶対にお得です。
そんなことは、ともかくとして
平将門と時を同じくして起きた承平・天慶の乱の
西の首謀者、藤原純友が海賊となり
その拠点となったのが宇和島市の日振島です。
日振島へは宇和島港からの航路となります。
撮影地:愛媛県津島町芳原
宇和島市と津島町との間を結ぶ
国道の旧道沿いで撮影しました。
正面に現在の国道が見えています。
ご苦労なことに、この旧道を越えましたが
峠のトンネルの不気味さには参りました。
その上、出口付近で滝のように水が
トンネルの天井から落ちてきて
さながら、テーマパークの乗り物の気分でした。
福岡県の旧犬鳴峠トンネルは
幽霊が出るといわれており
私が知らないだけで、実はこの旧国道トンネルも
宇和島では隠れた名所なのかもしれません。
撮影地:愛媛県津島町上谷

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